臺字訓 - 学者と字典と研究家の循環論法

1. 新漢和大字典 に ある 臺字 の表音 ト に根拠は無い


邪馬台(邪馬臺)国を ヤマト とむ人がいまだに多く存在する

その根拠として、学習研究社が発行している 藤堂 明保 が編集した 学研漢和大字典 に、臺字 の表音として ト が っていると言うものが挙げられる
これに ついては、実の所 最早もはやこれには何の根拠も無い事が判明してしまって いる

しかし、その事実を知らないのか或いは分かって いながら都合が悪いので見なかった事に して目をそむけているのかは知らないが、未だに上記を金科玉条として 邪馬臺 = ヤマト と言う誤った主張を続けている者が いるようで ある
そう言った 関西説大和教 を信奉する方は、本論を読み進めて宗教に よる洗脳から目をまして欲しいと願う

ちなみに 学研漢和大字典 とは以下の字典で ある

学研出版 学研漢和大字典

今は改訂されて、以下のものが販売されている

学研出版 新漢和大字典 普及版



2. 臺字 の表音


臺字 の表音に ついては、実は Wikipedia にも記載が ある
引用しよう

台与 - Wikipedia 発音に関する議論

「臺」を「と」と読む根拠は、例えば藤堂明保『国語音韻論』[4]に、「魏志倭人伝で、『ヤマト』を『邪馬臺』と書いてあるのは有名な事実である」と記載されていることに求められているが、これはすなわち「邪馬臺=ヤマト」という当時の通説に基づいた記述に過ぎないとする指摘がある[5]。
もしこの意見が妥当なら、漢和辞典の記載を根拠に「『邪馬臺』はヤマトと読める、『臺與』はトヨと読める」と言ったところで、大元にある通説の同義反復に過ぎないことになるが、「臺」の発音に関する中国語音韻論による議論はこの意見とは無関係である[6]。
また、そもそも「魏志倭人伝」には「邪馬臺」とは書かれておらず、「邪馬壹」(=邪馬壱)と書かれており、前提からして誤っている。

註:

当時の通説とは、邪馬臺國は ヤマト国の事に相違無く、卑弥呼は神功皇后で ある……
と言う当時の歴史学者の定説を指す


と言う事で、昔の歴史学者と 学研漢和大字典 に記載されている 臺字 の表音と現在の歴史研究家の論法は、単なる循環論法でしか無いと思われる

以前私は 関西説大和教 の方に質問を送った事が あったが、本人が闘病中のため回答を いただく事を断念した

関西説大和教 信徒に質問を送るが…

尚(なお)、その方が今どうしているのかは、私は知らない

Wikipedia には少し触れているだけで あるが、上記の詳細は以下が分かり易い
【古田武彦が語る多元史観 燎原の火が塗り替える日本史】 P.182

著者 : 古田 武彦

(質問)

中国史書中、倭国にかかる固有名詞を漢音で発音するか、呉音で発音するかの問題ですが、呉音が古い音韻を残しているとしても、所詮日本風に訛ったものである以上、その文献が書かれた時代の、中国音によって考えるべきではないでしょうか。

例えば倭人伝中の、對海国なら、對 [tuəd][註1] 海 [ɦieg][註2]、『後漢書』の對馬国なら對 [tuəd][註1] 馬 [mag][註3]
(注=発音は藤堂明保『漢和大字典』による中古音を表記した。
なお同書のカナ表記では、呉音、漢音共にタイ、カイ、マとなっている)

のように発音すべきで、この藤堂明保立場から音韻研究を深める必要があると思います。

(回答)

この問題については現在のわたしは解決したわけであります。
もとはここでいう藤堂明保さんは、東大教授で中国言語研究の権威でした。
この人にわたしは盛んにコンタクトを取って質問したわけです。
結局これは「三世紀の発音はわたしにはわかりません」ということで「それでは何で邪馬台国がヤマトと読めるのですか」という質問をしましたら、それは一般にそう書いてあるからということでして、結論としては、藤堂さんは三世紀の読みはわからないということでした
(注=増田弘・大野敏明『古今各国』「漢字音」対照辞典)慧文社、二〇〇六年、では、根拠は不明であるが、「台」の中古音に [təg] を入れている)。
本人が正直にそうおっしゃってくださいました。

註1:

出版物を引用するに当たり ə と見做して引用しているが、実際には他の字(例えば ɔ)で ある可能性も ある
いずれに しても対(對)字の上古音は tuəd、中古音は tuəi で あり、文意に齟齬が生じている

註2:

海字の中古音が ɦieg で あると する根拠は不明
中古音で あれば həi が正しいと思われる

註3:

馬字の中古音が mag で あると する根拠は不明
馬字の上古音は măg、中古音は mă(mbă) で ある


魏志倭人伝の表音に ついては、以下を参照して いただきたい

魏志倭人伝の表音は上古音か
【古田武彦が語る多元史観 燎原の火が塗り替える日本史】 P.322

 藤堂明保さんの中国音韻額の本を読んでみたら、「臺」は「ト」であると書いてあります。
手紙を出して問い合わせてみました。
返事は同様[註4]邪馬臺国を「やまとこく」と読むものとして、「臺」を「ト」と読むと書いたということでした。
橋本[註5]さんも藤堂さんも、年齢は少し違うにしても広い意味では同じ東大の研究仲間でしょう。
だから、同じ様な考え方になるのは仕方がないのかなとも思います。

註4,註5:

橋本進吉氏が上代特殊仮名遣の類別に おいて、臺字 が万葉仮名として使用されていないにもかかわらず 邪馬臺=ヤマト なのは明白で あると思い込み、臺字 は ト と読めると見做みなしてしまった事を指す


万葉仮名として使用されているのは 臺字 では無く 台字 で ある事は、私も以下で記している
ついでに書くと、上の方で書いた 関西説大和教 なる宗教に ついても、ここで触れている

臺字訓 邪馬臺はヤマトと読めるのか



3. 循環論法の推移


上記を まとめると、以下の通りと なる

1) 江戸時代や明治時代の歴史学者(新井 白石や白鳥 庫吉、内藤 湖南)が 邪馬臺 を ヤマト で あると(根拠も無く)断定して しまった

2) 藤堂 明保氏は著書執筆時に おける 上記 1) の古代史定説をもとに、学研漢和大字典 を執筆した

3) 現在の古代史研究家が 上記 2) を根拠として 邪馬臺=ヤマト で あると主張している


と言う、奇妙な循環論法が敷設敷延ふせつふえんされたものと思われる

こうなると、藤堂 明保氏は何ともいわく言いがたい面の皮、と言う事に されて しまっている感が ある...

まぁ それは さて置き、学研漢和大字典 に収録された 臺字 の表音に ついては、何の根拠も無いと言う事は確かで ある



4. 曹操墓で発見された 臺字


実は三世紀に おいて使用されていた 臺字 が見付かっている
偶然にも 曹操 の墓が発見され、そこから出土した石牌せきはい(副葬品の目録記載)に 臺 と書かれていたので ある
曹操墓に ついては以下の通り

曹操の墓 公開か

石牌に刻まれた 臺字 に ついては以下の通り

# この画像は三国志特集の TV番組で放送されたものなので、目にした者も多いか と思う

曹操墓石牌 臺字 1

臺字 のみを切り出して表示
曹操墓石牌 臺字 2

この 臺字 の特徴として、上部の が大きく そして ワ冠 から下の が小さい と言う点が挙げられる
現代の我々が目に する活字の字体とは少し異なっていて これが同じ字なのか と多少の違和感をおぼえるが、書き残されている以上は この字体が当時使用されていたので あろう
何と言うか、棚から牡丹餅とでも言うしか無いほどの一級史料の現出で ある
残念ながら石牌中には 壹字 は見出せなかったので直接 臺字 と 壹字 を対比する事が出来なかったのは非常に残念では あるが、しかし この意義は非常に大きい

そして この字体を見る者は とても 臺字 と 壹字 を混同誤記する事は まずもって あり得ない と言う印象を受けるで あろう事、必定で ある

勿論、邪馬臺 を 邪馬壹 と誤記誤写したのは三世紀では無く後世の事で あると主張する者も いるが、少なくとも三世紀の時点では 臺字 と 壹字 を混同する確率は極めて低い と断じざる を得ない のである

公開 : 2014年12月14日
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