1. 帥升は漢語の名か、倭語の名前は無いのか
東漢朝の永初元年(西暦107年)、倭国王の 帥升 が奉貢したと ある
所で以前から不審に思っていたので あるが、帥升の表音は呉音漢音共に スイショウ で あり、音読みで訓まれていて訓読みで訓まれる事は無い
しかし、そうだと すると帥升は漢語での名前と言う事に なるが、二世紀の倭国は
其処まで漢語を受容していたので あろうか?
後年、三世紀に入って卑弥呼や壱与が魏朝に朝貢するが、名は漢語名では無く倭語の名で あろうと思われる
となれば帥升も倭語の名で ある筈で あるが、しかし この時代には訓読みは確立しては いない筈かと思われるので、音読みで なければ ならない
しかし スイショウ と言うのは、倭語としては
相応しい名とは言い
難い
さて、これは一体どう言う事なのか……と考えつつも答えを得られず、袋小路に
陥っていた
そして ある時、
閃いた
ある時と言うのは、稲荷山鉄剣の銘文 獲加多支鹵大王 の訓は呉音でも漢音でも万葉仮名でも無く、中古音で訓めば良いのだ と気付いた後の事で ある
この時の経緯は以下の通り
獲加多支鹵の訓は "ワカタケル" で正しいか -銘文を中古音で訓む-
そう、気付いたのが余りにも遅過ぎたのだ
東漢朝は上古音の時代なので あるから、
王名も上古音で訓めば良いのだと言う事を
2. 帥升の名
.1 後漢書のみ残る文献
東漢代の史書は幾つか存在していた
様で あるが、これが また
皆々散逸して しまっている らしく現在残っている史料は もう 後漢書 しか無い
そして困った事に、後漢書の倭国に関する列伝は、出来が酷くて どうにも ならない
もう少し まともな 倭国伝が収録された史書が残らなかったのかと、惜しまれて ならない
まぁ ここで愚痴を書き
連ねても
詮無い事なので、後漢書の原文を参照する
以下では、原文を画像で確認する事が可能と なっている
《武英殿二十四史》本《後漢書》 (圖書館) - 中國哲學書電子化計劃
因みに、画像の拡張子は PNG で ある
倭伝を撮影した画像は 800 x 1220 から 800 x 1233 の 2bit カラーで、白黒二色しか使用されて いない
PNG を採用する必要が あったのか どうかは、何とも言えない所では ある
拡張子次第では、もっとファイルサイズを削減出来る様には思う
ここの page 64 に飛ぶと、以下の倭伝が始まる
後漢書卷114~117 第64頁 (圖書館) - 中國哲學書電子化計劃
【後漢書】 卷八十五(一百十五) 列傳卷七十五 東夷傳 倭
撰者 : 南朝劉氏宋朝 范曄
倭在韓東南大海中 依山㠀爲居 凡百餘國
自武帝滅朝鮮 使驛劉攽曰 使驛按當作譯說已見上通於漢者三十許國 國皆稱王 丗丗傳統 其大倭王居邪馬臺國按今名邪摩惟音之訛反[註1]
樂浪郡徼 去其國萬二千里 去其西北界拘邪韓國七千餘里
其地大較在會𥡴東冶之東 與朱崖,儋耳相近 故其法俗多同
土宜禾稻 麻紵 蠶桑 知織績爲縑布
出白珠靑玉 其山有丹土(土字は次行行頭か)
氣温腝 冬夏生菜茹
無牛馬虎豹羊鵲鵲或作雞
其兵有矛 楯 木弓 竹矢或以骨爲鏃
男子皆黥面文身 以其文左右大小別尊卑之差
其男衣皆横幅結束相連
女人被髮屈紒 衣如單被 貫頭而著之 並以丹朱坋身說文曰 坋 塵也 音蒲頓反
如中國之用粉也
有城柵屋室
父母兄弟異處 唯會同男女無別
飮食以手而用籩豆
俗皆徒跣 以蹲踞爲恭敬
人性嗜酒
多壽考 至百餘歲者甚眾
國多女子 大人皆有四五妻 其餘或兩或三 女人不𠉰不妒
又俗不盜竊 少爭訟 犯法者沒其妻子 重者滅其門族
其死停喪十餘日 家人哭泣 不進酒食 而等類就歌舞爲樂
灼骨以卜 用決吉凶
行來度海 令一人不櫛沐不食肉不近婦人 名曰持衰
若在塗吉利 則雇以財物 如病疾遭害 以爲持衰不謹 便共殺之
建武中元二年(西暦57年) 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
安帝永初元年(西暦107年) 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見
桓靈閒 倭國大亂 更相攻伐 歷年無主
有一女子名曰卑彌呼 年長不嫁 事鬼神道 能以妖惑眾 於是共立爲王
侍婢千人 少有見者 唯有男子一人給飮食傳辭語 居處宮室樓觀城柵 皆持兵守衞 法俗嚴峻
自女王國東 度海千餘里 至拘奴國 雖皆倭種 而不屬女王
自女王國南四千餘里至朱儒國 人長三,四尺
自朱儒東南 行舩一年 至裸國,黑齒國 使驛所傳極於此矣
註1:
反字 は 也字 の誤か
或いは 案今名邪摩惟音之訛也 か
邪摩惟 は 邪摩推 か それとも 邪摩堆 か
文字数少ねぇ~なぁ おぃ、そして情報量も
薄べったい
三国志 魏志 倭人伝 を見てしまうと、本当に見劣りして しまう
倭人伝には
綺羅星の如く出て来た国名官名人名と言った固有名称が、本当に少ない
思うに 范 曄 は、卑弥呼の共立は東漢代での事で あると認識していて、それで後漢書に卑弥呼の事を収録しているので あろう
ただ、それが正しい認識で あるか どうかは何とも言えない
倭人伝の読解次第で あるが、卑弥呼共立は魏朝の世に行われたものと解する事も可能なので、抑々論と しては卑弥呼に関する記述を後漢書に収録して良いのか どうか、疑問が残る
所謂この 後漢書 倭伝 と呼ばれている上記箇所で あるが、実は見るべき記事は
建武中元二年 と
永初元年 の二行しか無い
そして今注目すべきは倭国の王、
帥升で ある
.2 表音
倭国王の王名、恐らく諱と思われるが、帥升の表音は以下の通りで ある
なお、一部に帥升等が王名で あると主張する方も いる様なので、等の表音も
併せて
掲げるものと する
ついでに、【通典】(全ての刊写本では無い),【翰苑】,【唐類函】では 師升 と書かれているので、これも
載せて おく
帥升(等) の表音
| 字 |
字音候補 |
上古音 |
中古音 |
中世音 |
現代音 |
拼音 |
呉音 |
漢音 |
万葉仮名 |
| 帥 |
音一 |
sïuəd(シゥァドュ) |
ṣïui(シゥィ) |
ṣuəi(シュァィ) |
ṣuai(シュァィ) |
shuài(シュァィ) |
スイ |
スイ |
該当する表音無し |
| 帥 |
音二 |
sïuət(シゥァトュ) |
ṣïuĕt(シゥェトュ) |
ṣuə(シュァ) |
ṣuai(シュァィ) |
shuài(シュァィ) |
ソチ,シュチ,シュツ |
ソツ |
- |
| 師 |
- |
sïer(シエ) |
ṣïi(シィ) |
ṣï(シィ) |
ṣï(シィ) |
shī(シィ) |
シ |
シ |
し,じ[註2](万葉集) |
| 升 |
- |
thiəŋ(シァン) |
ʃɪəŋ(シァン) |
ʃɪəŋ(シァン) |
ṣəŋ(シァン) |
shēng(シァン) |
ショウ |
ショウ |
該当する表音無し |
| 等 |
- |
təŋ(トァン) |
təŋ(トァン) |
təŋ(トァン) |
təŋ(トァン) |
dĕng(ドァン) |
トウ,タイ |
トウ,タイ |
と乙類 |
註2:
じ は【万葉集】に 土師乃志婢麻呂 と あるので この様に分類しているが、厳密には はにし が音便化している だけ なので、じ に分類するのは正確では無いのかも知れない
上古音では帥升と書いて sïuəd-thiəŋ(シゥァドュ-シァン) と なる
帥升等 で あれば sïuəd-thiəŋ-təŋ(シゥァドュ-シァン-トァン) と なるが、等字 は複数の対象と捉えられるので、もし トァン も王名に含まれるので あれば 等字 以外の別の字を当てた方が
紛れ を防げる
やはり帥升が名と言う事で あろう
上表では一応 帥升 と 師升 双方の表音を載せているが、さて どちらが正しいで あろうか
もし 師升 が正しいので あれば sïer-thiəŋ (シエ-シァン) と なる
ただ、【通典】や【翰苑】は所詮は引用箇所に過ぎず、何らかの原典史書に
基づいて既存史料を訂正している
訳では無いので、引用時に誤記を犯したか或いは引用した写本が既に誤写された状態で あった可能性が高いと思うので、本論述では採用しない事と する
倭語では母音が伴わない子音を表音する事は無いので、帥字 は倭語では スァ で あろう
また 升字 で あるが、シァン と言う表音は倭語として
適わない嫌い が あるので、これは恐らく シァウ で あろう
となると倭語では スァシァウ に なる と思われる
帥字 の スァ で あるが、母音が
連なるので或いは二重母音で あるかも知れない
更に言えば、升字 の シァウ も倭語と しては
仲々に思い当たる語を見出しにくく、恐らくは他音の倭語を東漢代の漢族が誤って聞き取ったのでは無いかと思う
シァウ は ショウ もしくは ショ、または シオ と言った倭語では無かったか?
スァ も恐らくは別の表音で、サ もしくは スェ、あるいは シャ と言っていたのでは無いか?
二重母音で あれば その場合は スヱ と なるが、私は言語学には詳しくないので正直に言って分かり兼ねる事では ある
それでは倭語として成立しそうな語には何が あるのかと言うと、一応以下の様な語を思い付いた
帥字 は 据え(すえ,すゑ),末(すえ,すゑ),季(すえ)、升字 は入(しお,しほ),塩(しお,しほ),潮(しお,しほ),汐(しお,しほ) と言った語で ある
組み合わせると、
1) 据ゑ塩 (すゑしほ,すえしお)
塩には殺菌作用が存在する事が古来より知られて おり、神道では魔除け として盛塩の儀式が行われていたらしい
塩を据えると言う事は結界を設ける事を意味するが、宗教祭祀に ついての主導者を兼ねる古代の王の名としては、充分に相応しいのでは無いかと思う
2) 季入 (すえしほ,すえしお)
季節の移り変わり の意で あるが、漢委奴国王 の金印が 志賀島 から出土した事を鑑みると、海に関連する倭語の方が良いか
3) 末汐(すゑしほ,すえしお), 季潮 (すえしほ,すえしお)
潮の干満と季節毎の海流に関する語で ある
倭人と言えば海洋民族や海洋国家と関連が深い筈で、倭人ならば漁業や舟運を行う上で潮目や潮流の目利き に関する技能は欠かせない
となれば 据ゑ塩 同様、季潮 は倭国の王名として妥当かと思う
.3 韓語と倭語の組み合わせ
可能性は低いと思うが、或いは 帥字 は韓語で鉄を意味する 쇠(スェ) と関連が あるかも知れない
韓語と倭語を組み合わせた王名と言う事も、あり得るか
帥字 は韓語で鉄、升字 は倭語で塩、合わせて
鉄塩と言うもので ある
そう言えば、塩と鉄は歴代の中国王朝で国有化され、庶民を搾取して暴利を
貪り
尽くしていた国家の基幹産業で あった
いや、これは今ふと思い付いて書いているだけで、特に他意は無い
3. 帥升は据塩若しくは季潮
後漢書 倭伝 に ある倭国王帥升は、倭語を漢族が漢語に聞き取ったものを記録したもので、やはり帥升は倭語の王名で あろうと思われる
現時点で想定される王名は、
据塩若しくは
季潮と言う字が当てられる すえしお と言う語では無いかと考える
4. 関連 URI
参考と なる URI は以下の通り
帥升 - Wikipedia
公開 : 2014年11月25日