From: 福島 雅彦From 行から Date行までは mail 本文では無いが、こちらの判断で記載した
Subject: 倭王 「帥升」
Date: Sun, 16 Apr 2017 11:11:32 +0900
前略
倭王 「帥升」=“shuai-sheng”=“쇠상”(soe-sang)=鉄上=製鉄王=「素盞嗚尊」と思います。
中国書記官の認識の音価認識=“shuai-sheng”であり、「素盞嗚尊」の「倭語」音写と観ます。
*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。
これで落着するかと思っていたが、更に mail を頂いた蒲生新田です。
メールいただきまして ありがとうございます。
>前略
>倭王 「帥升」=“shuai-sheng”=“쇠상”(soe-sang)=鉄上=製鉄王=「素盞嗚尊」と思います。
>中国書記官の認識の音価認識=“shuai-sheng”であり、「素盞嗚尊」の「倭語」音写と観ます。
>*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。
素盞嗚尊が鉄と関連が あるとの文献は寡聞にして知りませんので、
上記等号は成立しないと思います。
また、素盞嗚尊は国王で あったと言う記録も無いと思いますので、
倭国王帥升と素盞嗚尊は特に関係は無いと思われます。
以上、よろしく お願い いたします。
--
蒲生新田
http://www.lun.ac/
From: 福島 雅彦もう mail を送られて来る事は無いと思っていたので、少し驚いたが、続いて以下の様に返信した
Subject: Re: 倭王 「帥升」
Date: Mon, 17 Apr 2017 16:41:39 +0900
蒲生新田さま
ご返信賜り、多謝 謝々!
文献をご存じないとの事ですが、拙著『卑彌呼が都した所』葦書房1996年と
『私の邪馬台国論』Vol--2.十人共著の中の「邪馬臺國も邪馬壹國もなかった」2003年
に記述しています。
ご自身が接したことがない説は正しくない、とのご見解は正しくないと存じます。
早々
何と更に mail を頂いた蒲生新田です。
メールいただきまして ありがとうございます。
On Mon, 17 Apr 2017 16:41:39 +0900
福島 雅彦wrote:
>蒲生新田さま
> ご返信賜り、多謝 謝々!
>文献をご存じないとの事ですが、拙著『卑彌呼が都した所』葦書房1996年と
>『私の邪馬台国論』Vol--2.十人共著の中の「邪馬臺國も邪馬壹國もなかった」2003年
これは文献では ありません。
>に記述しています。
> ご自身が接したことがない説は正しくない、とのご見解は正しくないと存じます。
はい、その通りです。
根拠が無いと書いてしまうと圭角が立って しまいますので、
「文献が無い」と書きまして婉曲に否定した次第で ございます。
以上、よろしく お願い いたします。
--
蒲生新田
http://www.lun.ac/
From: 福島 雅彦こちらも以下の通り返信した
Subject: Re: 倭王 「帥升」
Date: Tue, 18 Apr 2017 14:10:17 +0900
蒲生新田 さま
再再度のご応答賜り感謝申し上げます。
根拠は、言語です。
「帥升」を中国書記官の認識に無い音価の「すいしょう」と日本語読みしても正鵠は射れない、と。
「帥升」=“shuai-sheng”=“쇠상”(soe-sang)=鉄上=製鉄王=「素盞嗚尊」は成立します。
その他の「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」の論拠をお送りしますので、送り先をお知らせください。
デジタル音痴でしてアナログの紙複写を郵送させて頂きます。
早々
そして これが最後の mail で ある蒲生新田です。
メールいただきまして ありがとうございます。
On Tue, 18 Apr 2017 14:10:17 +0900
福島 雅彦wrote:
>蒲生新田 さま
> 再再度のご応答賜り感謝申し上げます。
>根拠は、言語です。
それは根拠には なりません。
>「帥升」を中国書記官の認識に無い音価の「すいしょう」と日本語読みしても正鵠は射れない、と。
>「帥升」=“shuai-sheng”=“쇠상”(soe-sang)=鉄上=製鉄王=「素盞嗚尊」は成立します。
素盞嗚尊と鉄との関連性は文献に見付かりませんので、成立しません。
同じ事を延々と述べても他の人からは独り善がりの主張と しか見做されず
共感を得られにくいか と思われますので、止めた方が良いと思います。
>その他の「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」の論拠をお送りしますので、送り先をお知らせください。
>デジタル音痴でしてアナログの紙複写を郵送させて頂きます。
書籍を出版されたので あれば印税が入ると思いますので、それで出版社に
Webページを用意してくれる人を紹介して貰えば良いと思います。
そうすれば紙媒体をデジタル画像として撮影して公開出来るでしょう。
以上、よろしく お願い いたします。
--
蒲生新田
http://www.lun.ac/
From: 福島 雅彦もう返信する必要も無いか と思ったが、それでも疑問を投げかけられている訳(わけ)で、やはり返事は行っておかねば なるまい と思い直した
Subject: Re: 倭王 「帥升」
Date: Wed, 19 Apr 2017 12:45:14 +0900
蒲生新田 さま
懇切なるご提言を賜り、多謝 謝々!
「素盞嗚尊」と製鉄との関連性が見つからないから成立しない、とのご見解は正しいのでしょうか?
ご理解が得られなくて非常に残念です。
これを提唱した、福島雅彦が居たことだけでも、ご記憶にお留め下さい。
ご応対に感謝します。福島雅彦 拝
これ以降は特に連絡は無いので、もう mail が送られて来る事は無いかと思う蒲生新田です。
メールいただきまして ありがとうございます。
On Wed, 19 Apr 2017 12:45:14 +0900
福島 雅彦wrote:
>蒲生新田 さま
>懇切なるご提言を賜り、多謝 謝々!
>「素盞嗚尊」と製鉄との関連性が見つからないから成立しない、とのご見解は正しいのでしょうか?
完全に正しいです。
--
蒲生新田
http://www.lun.ac/
.1 伊都国王と卑弥呼以前の倭国王
文献上で見る限り、帥升 の比定者候補は以下の二人で あろうか
ここに【三國志】 卷三十 魏志 烏丸鮮卑東夷傳 第三十 倭人傳
撰者 : 西晉(晋)朝 陳壽(寿)
其國本亦以男子爲王 住七,八十年 倭國亂 相攻伐歴年
帥升 が何年 在世したか は分からないが、帥升 と 卑弥呼 の先代男王の間に一人か二人の倭国王を挟まないと不自然で あるかも知れない【後漢書】 卷八十五(一百十五) 列傳卷七十五 東夷傳 倭
撰者 : 南朝劉氏宋朝 范曄
安帝永初元年(西暦107年) 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見
この戸数一千戸の小国なのに代々 王が存在していると言う、良く分からない国の王者と なる【三國志】 卷三十 魏志 烏丸鮮卑東夷傳 第三十 倭人傳
東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支 副曰𣳘謨觚,柄渠觚 有千餘戸 世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐
.2 瓊瓊杵尊 と 火闌降命,火照命
まぁ いる には いる が、以下は特に根拠が あって書き記す
これは単なる私の試案で ある
1)
【日本書紀】 卷第二 神代下
撰者 : 舎人親王 等
天照大神之子正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊 娶高皇産靈尊之女𣑥幡千千姬 生天津彥彥火瓊瓊杵尊
故皇祖高皇産靈尊特鍾憐愛 以崇養焉 遂欲立皇孫天津彥彥火瓊瓊杵尊 以爲葦原中國之主

2)
天皇家の祖先と される 瓊瓊杵尊 の子で あった と言う 兄 海幸彦 と 弟 山幸彦 で あるが、弟の祖先が 神武天皇 と なると その兄は どう言う存在で あったのか?
【日本書紀】 卷第二 神代下
始起煙末生出之兒 號火闌降命是隼人等始祖也 火闌降 此云褒能須素里
次避熱而居生出之兒 號彥火火出見尊
次生出之兒 號火明命是尾張連等始祖也

【日本書紀】 卷第二 神代下
兄火闌降命 自有海幸幸 此云左知 弟[註]彥火火出見尊 自有山幸

写本に書かれている 弟字 の異体字は
か
【古事記】 上卷 邇邇藝命
撰者 : 太 安萬侶 等
故其火盛燒時所生之子名 火照命此者隼人阿多君之祖
次生子名火須勢理命須勢理三字以音
次生子御名火遠理命 亦名天津日高日子穗穗手見命三柱

1 火闌降命 (海幸彦)
2 彦火火出見尊 (山幸彦)
3 火明命
古事記 では以下と なっている
1 火照命 (海幸彦)
2 火須勢理命
3 火遠理命(穂穂手見命:山幸彦)
大体 何故 天皇家は弟の子孫なのか?
普通は兄が家を継ぐもの で あろうに
日本書紀 や 古事記 では 神武天皇 が九州から大阪,奈良県に侵入した と書き残すが、では その時九州には誰が いたのか?
答えは簡単、九州には本家筋で あった 火闌降命(火須勢理命?) や 火明命(火照命) が いた と言う事に なる
ついで に言えば、日本書紀 では敢えて 火明命 を 彦火火出見尊 の弟と したい理由が あって改竄した事を疑う
恐らくは 古事記 の兄弟順が正しいので あろう
火闌降命 は隼人の祖と書かれているが、要するに九州に残った勢力が いた と言う事で あろう
この二人は少々意味深で あり、
帥升等 と書かれているのは何故か今まで疑問に思っていたので あるが、もし兄弟王で あれば二人連名で東漢朝に貢献した と言った事も あったかも知れない【後漢書】 卷八十五(一百十五) 列傳卷七十五 東夷傳 倭
安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見