| 字 | 字音候補 | 上古音 | 中古音 | 中世音 | 現代音 | 拼音 | 呉音 | 漢音 | 万葉仮名 |
| 卑 | - | pieg(ピェ) | piĕ(ピェ) | pi(ピ) | pɔi(ピィ) | bēi(ベイ) | ヒ | ヒ | ひ甲類(日本書紀,古事記,万葉集) |
| 彌(弥) | - | miĕr(ミェ) | miĕ(mbiĕ)(ミェ,ンビェ) | mi(ミ) | mi(ミ) | mí(ミイ) | ミ | ビ | み甲類(日本書紀:歌謡,古事記:歌謡,万葉集) ム(日本書紀)[註1] び甲類(日本書紀:歌謡) |
| 呼 | - | hag(ハ) | ho(ホ) | hu(フ) | hu(フ) | hū(フゥ) | ク | コ | を(万葉集) |
厳密には万葉仮名では無いかも知れない
| 字 | 卑 | 彌(弥) | 呼 | ||||
| 上古音 | pieg(ピェ) | - | miĕr(ミェ) | - | hag(ハ) | - | - |
| 中古音 | - | piĕ(ピェ) | - | miĕ(mbiĕ)(ミェ,ンビェ) | - | ho(ホ) | wo(ウォ) |
| 倭語 | ひ | ひ | み | み,び | か | こ | を |
1) 上古音[pieg-miĕr-hag](ピェミェハ)
相応する倭語:ひみか
2) 中古音[piĕ-miĕ-ho](ピェミェホ)
相応する倭語:ひみこ[註2]
3) 中古音[piĕ-miĕ-wo](ピェミェウォ)
相応する倭語:ひみを
註2:
現代に おける一般的な呼称。
・ひ:火[乙類] 緋 氷[甲類] 檜[甲] 日[甲] 樋[乙] 斐[乙] 灯 杼 梭
・み:身[乙] 海 見[甲] 深 水[甲] 三[甲] 満 御[甲] 美[甲] 回(廻) 神[乙] 霊 箕[乙] 実[乙]
・か:鹿 処
・こ:濃 子 児 処
・を:小 尾 苧 男 峰 麻 雄 緒
倭語の一音毎に意味を掲げたが、場合によっては複数音で意味を成す倭語を使用していた可能性も ある。
その場合を考慮すると、次のように なるであろうか。
・ひみ:氷見[甲甲] 氷水[甲甲] 火見[乙甲]
・みか:甕 三日[甲-]
・みこ:巫女 神子[乙-] 美籠[甲-]
・みを:澪
呼字の漢語表音によって相応する倭語の候補が分かれるが、どの候補でも倭語の意味は通りそうに思える。
ひみか と訓む説は存在している[註3]。
また、ひみを と訓む見解もある[註4]。
呼字はウォを採用するのが正解であろうと考えている。
前掲拙論で卑弥弓呼の訓み方について論じているが、卑弥呼と卑弥弓呼の呼字の表音は同じ筈であり、卑弥弓呼をヒミキウヲと訓むならば卑弥呼は ひみを と訓む事になる。
卑弥呼を ひみを と訓む安本 美典氏は ひみを=姫王(を=王)と述べておられる[註3]が、これは非と すべきであろう。
そもそも卑弥呼は始めから女王として生を享けた訳では無い筈であり、一人の巫女としての名(諱)が卑弥呼で あった筈である。
女王に なってから姫王と名乗った訳では無い筈なので、を=王 と言う主張は成立しないと思われる。
卑弥呼は元々は巫女と言う一介の女性なので、諱は衣服・機織や穀物で使われる名称を使った庶民的な名で あったのではないか。
もしくは自然に関する名称に基づいているのかも知れない。
具体的には、杼実苧(もしくは杼実麻) と言った意味の名称や、氷澪 であろうと考えている。
女性の名で 氷澪 と言うのは、個人的には非常に美しい名であるように思うが、どうであろうか。
註3:
古田 武彦『古代は輝いていたⅠ 『風土記』にいた卑弥呼』(ミネルヴァ書房、二〇一四年)。
安本 美典『卑弥呼は日本語を話したか 倭人語を「万葉仮名」で解読する』(PHP研究所、一九九一年)。
註5:阿達羅尼師今二十年 夏 五月 倭女王卑彌乎遣使來聘(『三国史記』新羅本紀 第二 阿達羅尼師今)
高麗朝 金 富軾撰『三国史記』新羅本紀。
| 字 | 字音候補 | 上古音 | 中古音 | 中世音 | 現代音 | 拼音 | 呉音 | 漢音 | 万葉仮名 |
| 乎 | - | ɦag(ゥァ) | ɦo(ゥォ) | hu(フ) | hu(フ) | hū(フゥ) | オ(ヲ),ゴ | コ | を(万葉集) |
| 字 | 乎 | |
| 上古音 | ɦag(ゥァ) | - |
| 中古音 | - | ɦo(ゥォ) |
| 倭語 | わ | を |
1) 倭人が ひみを と口頭で伝え、新羅(あるいは辰韓)の者が卑弥乎と漢字を当てた
2) 倭人が文書に卑弥乎と書いた
3) 帯方郡等から倭へ渡った漢人(魏か東漢の官吏か)が卑弥乎と漢字を当てた
いずれにせよ、三国史記における卑弥乎の記録は ひみを と言う訓み方を後押し しているように思える。
何故魏志帝紀には俾弥呼と書かれていて魏志倭人伝には卑弥呼と書き分けられているのか、理由は良く分からない。冬 十二月 倭國女王俾彌呼 遣使奉獻(『三国志』魏志 三少帝紀 齊王芳)