卑弥呼はヒミヲと訓む

1. 卑弥呼は何と訓むのか?


魏志倭人伝に登場する卑弥呼と言う人物は、倭語で何と訓めば良いのであろうか?
現在は音読み で ひみこ と訓まれているが、三世紀の時点では呉音も漢音も認識されていない訳で、日本語の音読み で訓んで良いのであろうか?
これに対し、私は漢語の表音に則り ひみを と訓むのが正しいと考えている。



2. 卑弥呼は漢語で何と訓むのか?


卑弥呼の表音は以下の通り となる

卑,彌(弥),呼字の表音
字音候補 上古音 中古音 中世音 現代音 拼音 呉音 漢音 万葉仮名
- pieg(ピェ) piĕ(ピェ) pi(ピ) pɔi(ピィ) bēi(ベイ) ひ甲類(日本書紀,古事記,万葉集)
彌(弥) - miĕr(ミェ) miĕ(mbiĕ)(ミェ,ンビェ) mi(ミ) mi(ミ) mí(ミイ) み甲類(日本書紀:歌謡,古事記:歌謡,万葉集)
ム(日本書紀)[註1]
び甲類(日本書紀:歌謡)
- hag(ハ) ho(ホ) hu(フ) hu(フ) hū(フゥ) を(万葉集)

註1:

厳密には万葉仮名では無いかも知れない


呼字の中古音は wo も考えられるが、これについては以下を参照
卑弥弓呼は火神酒魚か

卑弥呼の上古音は pieg-miĕr-hag、中古音は piĕ-miĕ-hoもしくはpiĕ-miĕ-wo となる。
片仮名で書くと上古音はピェミェハ、中古音はピェミェホもしくはピェミェウォと なる。
なお、古代の倭語ではハ行音は存在せず、代わりにファ行音が存在していたと言う見解も あり、その場合は倭人はピェミェファもしくはピェミェフォに近い倭語を話していたと言う事に なる。



3. 卑弥呼は倭語で何と訓むのか?


卑弥呼の漢語での表音に相応すると思われる倭語の表音は以下の通り と なる。

卑,彌(弥),呼の漢語表音に相応する倭語
彌(弥)
上古音 pieg(ピェ) - miĕr(ミェ) - hag(ハ) - -
中古音 - piĕ(ピェ) - miĕ(mbiĕ)(ミェ,ンビェ) - ho(ホ) wo(ウォ)
倭語 み,び

卑弥呼の漢語表音に相応する倭語表音は、それぞれ次の通り となる。

1) 上古音[pieg-miĕr-hag](ピェミェハ)

相応する倭語:ひみか

2) 中古音[piĕ-miĕ-ho](ピェミェホ)

相応する倭語:ひみこ[註2]

3) 中古音[piĕ-miĕ-wo](ピェミェウォ)

相応する倭語:ひみを


註2:

現代に おける一般的な呼称。


おおよそ この辺りであろうか。
相応すると思われる倭語の意味を一音ずつ紐解いて見て行くと、次のような候補が思い付く。
上代特殊仮名遣い の区分があり、甲類乙類の区分が分かるものは[]で補記しておいた。
相応する倭語の差違は語末の呼字の漢語表音のみ なので、呼字の表音の候補は それぞれ挙げるものとする。

・ひ:火[乙類] 緋 氷[甲類] 檜[甲] 日[甲] 樋[乙] 斐[乙] 灯 杼 梭

・み:身[乙] 海 見[甲] 深 水[甲] 三[甲] 満 御[甲] 美[甲] 回(廻) 神[乙] 霊 箕[乙] 実[乙]

・か:鹿 処

・こ:濃 子 児 処

・を:小 尾 苧 男 峰 麻 雄 緒


倭語の一音毎に意味を掲げたが、場合によっては複数音で意味を成す倭語を使用していた可能性も ある。
その場合を考慮すると、次のように なるであろうか。

・ひみ:氷見[甲甲] 氷水[甲甲] 火見[乙甲]

・みか:甕 三日[甲-]

・みこ:巫女 神子[乙-] 美籠[甲-]

・みを:澪


呼字の漢語表音によって相応する倭語の候補が分かれるが、どの候補でも倭語の意味は通りそうに思える。
ひみか と訓む説は存在している[註3]
また、ひみを と訓む見解もある[註4]
呼字はウォを採用するのが正解であろうと考えている。
前掲拙論で卑弥弓呼の訓み方について論じているが、卑弥呼と卑弥弓呼の呼字の表音は同じ筈であり、卑弥弓呼をヒミキウヲと訓むならば卑弥呼は ひみを と訓む事になる。
卑弥呼を ひみを と訓む安本 美典氏は ひみを=姫王(を=王)と述べておられる[註3]が、これは非と すべきであろう。
そもそも卑弥呼は始めから女王として生を享けた訳では無い筈であり、一人の巫女としての名(諱)が卑弥呼で あった筈である。
女王に なってから姫王と名乗った訳では無い筈なので、を=王 と言う主張は成立しないと思われる。
卑弥呼は元々は巫女と言う一介の女性なので、諱は衣服・機織や穀物で使われる名称を使った庶民的な名で あったのではないか。
もしくは自然に関する名称に基づいているのかも知れない。
具体的には、杼実苧(もしくは杼実麻) と言った意味の名称や、氷澪 であろうと考えている。
女性の名で 氷澪 と言うのは、個人的には非常に美しい名であるように思うが、どうであろうか。

註3:

古田 武彦『古代は輝いていたⅠ 『風土記』にいた卑弥呼』(ミネルヴァ書房、二〇一四年)。

註4:

安本 美典『卑弥呼は日本語を話したか 倭人語を「万葉仮名」で解読する』(PHP研究所、一九九一年)。




4. 卑弥乎は何と訓むのか?


173年(もしくは干支の計数誤認で233年)に卑弥乎と言う人物が三国史記[註5]に登場するが、この人物は卑弥呼と同一人物かも知れない。
当該の記述は次の通りとなる。

阿達羅尼師今二十年 夏 五月 倭女王卑彌乎遣使來聘(『三国史記』新羅本紀 第二 阿達羅尼師今)

註5:

高麗朝 金 富軾撰『三国史記』新羅本紀。


もし卑弥乎が卑弥呼であると すると、何故卑弥乎と記録されているのかと言う疑問が生じる事になる。
乎字の表音は以下の通りとなる。

乎字の表音
字音候補 上古音 中古音 中世音 現代音 拼音 呉音 漢音 万葉仮名
- ɦag(ゥァ) ɦo(ゥォ) hu(フ) hu(フ) hū(フゥ) オ(ヲ),ゴ を(万葉集)

乎の漢語表音に相応する倭語
上古音 ɦag(ゥァ) -
中古音 - ɦo(ゥォ)
倭語

乎字の上古音はゥァ、中古音はゥォと なる。
乎と呼の表音は似ているようで少し異なるが、中古音に相応する倭語は を であろうと思われる。
を であれば、ひみを と一致する事になる。
そうすると、三国史記に乎と記録された理由は、次の通りであろうか。

1) 倭人が ひみを と口頭で伝え、新羅(あるいは辰韓)の者が卑弥乎と漢字を当てた

2) 倭人が文書に卑弥乎と書いた

3) 帯方郡等から倭へ渡った漢人(魏か東漢の官吏か)が卑弥乎と漢字を当てた


いずれにせよ、三国史記における卑弥乎の記録は ひみを と言う訓み方を後押し しているように思える。



5. 卑弥呼は俾弥呼が正しいか


卑弥呼の正しい名は、あるいは俾弥呼で あったのかも知れない。
卑弥呼については次の記述が魏志倭人伝とは別の箇所の帝紀に残されている。

冬 十二月 倭國女王俾彌呼 遣使奉獻(『三国志』魏志 三少帝紀 齊王芳)

何故魏志帝紀には俾弥呼と書かれていて魏志倭人伝には卑弥呼と書き分けられているのか、理由は良く分からない。
一応の案としてでは あるが、卑弥呼は正始元年(240年)に上表を行っている。
上表を行う際には上表文を提出する必要が あるが、上表文には諱を書く必要が あり、その諱に俾弥呼と書かれていたのでは ないかと考えている。
魏志倭人伝に登場する人名は使節として倭国に派遣された梯儁や張政が聞き取って漢字を当てたものと思われるが、その記録には卑弥呼と書かれていたので、陳寿は その記録の通りに編纂したために魏志倭人伝には卑弥呼と書かれているのであろう。
それとは別に、卑弥呼が魏の朝廷に提出した上表文には俾弥呼と書かれていたので、魏志帝紀には俾弥呼と記されたと言う事になる。
なお、梯儁・張政は倭人伝に敢えて卑字を使いたかったと言う意図も、あるいは含まれていたのかも知れない。

公開 : 2024年12月19日
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