此嵆侍中血勿去 (嵆侍中の血 すすぐことなかれ)

1. 忠臣死して皇帝は流血を受けた衣服を残す


西晋 八王の乱 の際に 嵆紹(けいしょう) は 恵帝 を庇い矢を射られ斬り殺された
その 嵆紹 の血が 恵帝 の服に かかった
恵帝 が危地から脱した後、臣下が 恵帝 の服から血を洗い落とそうと した際の故事

なお、去字の訓読に 濯(すす)ぐ を宛(あ)てる者は、どうも私以外には いないらしい

当時は血痕の染み抜きは出来なったと思うので、洗っても殆(ほとん)ど落ちず、捨てるしか無かったか
となると或(ある)いは、去字の訓読に 棄(す)てる を宛てた方が良いか



2. 出典


晋書 の 忠義列伝 と言う何とも特異な列伝に収められている
【晉書】卷八十九 列傳 第五十九 忠義 嵆紹

紹始入洛 或謂王戎曰

昨于稠人中 始見嵆紹 昂昂然 如野鶴之在雞群

戎曰

君複未見其父耳


尋征為禦史中丞 未拜 複為侍中
河間王顒 成都王穎 舉兵向京都 以討長沙王乂
大駕次於城東 乂言於眾曰

今日西討 欲誰為都督乎

六軍之士皆曰

願嵆侍中 戮力前驅 死猶生也

遂拜紹使持節 平西將軍 屬乂被執 紹複為侍中
公王以下皆詣鄴謝罪於穎 紹等鹹見廢黜 免為庶人
尋而朝廷複有北征之役 征紹 複其爵位
紹以天子蒙塵 承詔馳詣行在所
值王師敗績于蕩陰 百官及侍衛莫不散潰 唯紹儼然端冕 以身捍衛 兵交禦輦 飛箭雨集
紹遂被害於帝側 血濺禦服 天子深哀歎之
及事定 左右欲浣衣 帝曰

此嵆侍中血 勿去


及張方逼帝遷長安 河間王顒表贈紹司空 進爵為公
會帝還洛陽 事遂未行
東海王越屯許 路經滎陽 過紹墓 哭之悲慟 刊石立碑 又表贈官爵
帝乃遣使冊贈侍中、光祿大夫 加金章紫綬 進爵為侯 賜墓田一頃 客十戶 祠以少牢
元帝為左丞相 承制 以紹死節事重 而贈禮未副勳德 更表贈太尉 祠乙太牢
及帝即位 賜諡曰忠穆 複加太牢之祠

太元中 孝武帝詔曰

褒德顯仁 哲王令典
故太尉 忠穆公執德高邈 在否彌宣 貞潔之風 義著千載 每念其事 愴然傷懷
忠貞之胤 蒸嘗宜遠 所以大明至節 崇獎名教 可訪其宗族 襲爵主祀

於是複以翰孫曠為弋陽侯



3. 所感


嵆紹 も見事で あるが、恵帝 も又 天晴れ
これで何故 西晋 は亡びたので あろうか
暗愚で亡国の君と言えば それまで では あるが、動乱に際して精神が漸く成長したのか それとも暗愚と言えども君臣の あるべき姿には思う事が あったと言う事か



4. 関連 URI


参考と なる URI は以下の通り

嵆紹 - Wikipedia

公開 : 2014年4月10日
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