龐涓死此樹下

1. 嫉視でおとしいれた者が復讐される


呉起下同門の 龐涓、魏にて名を成し旧友 孫臏 を詐略で陥れる
膝を斬り落とされた 孫臏、魏を脱出して斉に身を寄せ、斉軍を利用して龐涓に復讐せんと図る

大樹に刻まれた文、龐涓死此樹下 に松明を翳(かざ)したが最期、弩の伏兵に集中狙撃されて遂に復讐成る

なお、弩の訓に "いしゆみ" "おおゆみ" が度々使用されているのを見かけるが、"いしゆみ" は誤記誤用、"おおゆみ" も少々違和感が ある
ここで "よこゆみ" の訓を提唱したい



2. 出典


十八史略 の方が詳述されているが、事実としては 戦国策 の記述が正しいものと思われる
【戰國策】 卷二十三 魏策二 齊魏戰於馬陵
齊魏戰於馬陵 齊大勝魏 殺太子申 覆十萬之軍
【十八史略】 卷第一 春秋戰國 齊(田氏齊) 成豎子之名

魏伐韓 韓請救於齊
齊使田忌為將以救韓
魏將龐涓 嘗與孫臏同學兵法
涓為魏將軍 自以所能不及
以法斷其兩足而黥之
齊使至魏 窃載以歸
至是 臏為齊軍師 直走魏都
涓去韓而歸
臏使齊軍入魏地者為十萬竈
明日為五萬竈 又明日為二萬竈
涓大喜曰

我固知齊軍怯 入吾地三日 士卒亡者過半矣

乃倍日幷行逐之
臏度其行 暮當至馬陵
道陿而旁多阻 可伏兵
乃斫大樹 白而書曰 龐涓死此樹下
令齊師善射者 萬弩 夾道而伏
期暮見火擧而發
涓果夜至斫木下 見白書 以火燭之
萬弩倶發 魏師大亂相失
涓自剄曰

遂成豎子之名

齊大破魏師 虜太子申



3. 所感


才有る者は、自身より才有る存在を許せぬと言う事か
嫉視と復讐の確執劇ここに極まれり と言う他無し

思うに、龐涓 は兵書を諳(そら)んじて これを実戦に用いる事を良しと する、机上の書生の域を出ないと言って しまっては酷で あろうか

まぁ孫臏に報復されるまでは魏の将として功績を残していたので あるから、将帥としての才幹は あったので あろう
ただ、私には どうにも 三国志 に出て来る書生 馬謖 に通じるものを感じてしまうのを禁じ得ない

戦争と言う非常事態に この様な頼り無い者が将兵を統帥している等と言う事が あっては なるまい
用兵は機略縦横を旨と する者が勝ち残るので ある



4. 関連 URI


参考と なる URI は以下の通り

馬陵の戦い - Wikipedia
戰國策 : 魏策 : 魏二 - 中國哲學書電子化計劃

公開 : 2014年3月22日
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