衛嗣君之時有胥靡逃之魏

1. 法は領地より重し


衛の奴僕が脱走して魏に逃げ込み、魏 襄王 の后の病気を恢復かいふくせしめた
衛 嗣君 は囚人を取り戻さん と魏に働きかけたが、襄王 は応じず
しかして 嗣君 は城邑 左氏 を差し出し、領地と囚人の交換を行わんと するも、廷臣 これに反対す
ここで 嗣君 は何と言ったのか



2. 国勢傾いた小国の没落国主は城地よりも名声を選んだ

【韓非子】 卷九 內儲說 七術 第三十 說二

衞嗣君之時 有胥靡逃之魏 因爲襄王之后治病
衞嗣君聞之 使人請以五十金買之 五反而魏王不予 乃以左氏易之
群臣左右諫曰

夫以一都買一胥靡 可乎

君曰

非子之所知也 夫治無小而亂無大 法不立而誅不必 雖有十左氏無益也 法立而誅ヒッせば 雖失十左氏無害也

魏王聞之曰

主欲治而不聽之 不祥

因載而往 徒獻之

【戰國策】 卷三十二 宋衞策十四 衞嗣君時胥靡逃之魏

衞嗣君時 胥靡

姚本胥靡 有罪之賢人也 鮑本有罪人 蓋賢者也

正曰 此本高註 竊以為不然

有罪而逃 何以知其賢 此慕傅說之事而誤說者也 衛君以金贖之者 恥其失政廢刑爾 觀其言可見

補曰 靡忙皮反

晉灼曰 胥相也 靡隨也 顏曰 連繫相隨而服役之 猶今之囚徒 莊子註 以鐵鎖相連繫

逃之魏 衞贖之百金不與 乃請鮑本請 亦贖也以左氏姚本左氏 衛邑也

羣臣諫曰

以百金之地贖一胥靡 無乃不可乎

君曰

治無小亂無大鮑本大,小 謂國 敎化喩於民三百之城鮑本補曰 三百或言家 足以爲治 民無廉恥 雖有十左氏將何以用之
鮑本彪謂 衛君之言及此 足以興起而不得霸 豈輔之者無其人乎 以群臣之所諫 知不及其君遠矣
然享國四十餘年不受外兵 則三百為治之言 允蹈之者歟
正曰 罪人而逃可謂無政矣 割地以求胥靡可謂無謀矣 其言雖善事則戾矣
補曰 韓非子有略同

胥靡しょび(或いは婿縻) を 【韓非子】 金谷 治 訳注では囚人と解しているが、奴僕と解するが正しいか
となると、訓読としては
韓非子 金谷 治 訳注

胥靡有リ、逃ゲテ魏ニ

よりも

胥靡ノのがレテ魏ニ之ク有リ

の方が良いかも知れない



3. 所感


城邑 左氏よりも法秩序の貫徹こそ重し と する その政治観たるや、見事で ある
【戦国策】 では 衛 嗣君 から臣下への教諭(市井への喧伝を期待したもの と思うが) で終わっているが、【韓非子】 では魏王が衛に囚人を返送した事が書かれている
この時の魏王は 襄王 である と 【韓非子】 には書かれているが、これも一廉ひとかどの人物では ある
と言える


4. 関連 URI


参考と なる URI は以下の通り

韓非子 : 內儲說上 - 中國哲學書電子化計劃
韓非子/內儲說上七術 - 维基文库,自由的图书馆
韓非子 - Wikipedia
衛嗣君- 台灣Wiki:

公開 : 2014年3月27日
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