魏略 逸文

1. 逸文しか残っていない不幸な史書


散逸して しまった事が この史書程(ほど) 残念に思われるものは無いと思う
遺存していれば 三国志 魏志 倭人伝 との比較,照合を行なう事が期待出来たものを、惜しい

まぁ消失してしまった以上、何を言っても詮無いのでは あるが……
馬王堆漢墓 帛書のような西晋代の廟墓や敦煌文書と言ったものから発見される事を期待するしか無いと言う事か



2. 東夷傳 倭人傳[註1]


註1:

三国志 にならって一応 倭人伝 と して いるが、魏略 でも この名称で良いのかは分からない

【魏略】 伝名不明

撰 : 魚豢(ぎょかん)

【漢書】 卷二十八 地理志第八下 燕地

撰者 : 東漢朝 班固 班昭 馬続(ばしょく) 等
註者 : 顔籀(がんちゅう) (字:師古)

倭在帶方東南大海中 依山島爲國 度海千里 復有國 皆倭種

漢書 地理志 燕地 04

【翰苑】 卷第卅 蕃夷部 倭國

撰者 : 唐朝 張 楚金
註釈 : 唐朝 雍公叡

從帶方至倿[註2] 循海岸水行 暦[註3]韓國到构[註4][註5]韓國七十[註6]餘里
始度一海千餘里 至對馬國 其大官曰卑拘 副曰卑奴 無良田 南北布[註7]
南度海至一支國 置官至[註8][註9]同 地方三百里
又度海千餘里 至未[註10]末廬曰[註11] 人善捕魚 能浮沒水取之
東南五東[註12]里 到伊都國 戸万[註13]餘 置曰爾支 副曰洩渓觚,柄渠觚 其國王皆屬王女[註14]

女王[註15]之南又有狗奴國 女[註16]男子爲王 其官曰拘[註17][註18]智卑狗 不属女王也
自帶方至女[註19]國万二千餘里
其俗男子皆點[註20][註21][註22] 聞其舊語 自謂太伯之後
昔夏后小康之子 封於會𥡴[註23] 断髪[註24]文身 以避蛟龍之害 今倿[註2]人亦文身 以厭[註25]水害也[註26]

翰苑 01


註2:

倿字 は 倭字 の異体字で あるが、表音は ワ では無い
佞字 や 侫字 と同じ拼音なので、ネイ が正しい
つまり 倿国 と書いて ネイこく と訓(よ)む

註3:

暦字 は 歴(歷)字 の誤写か

註4:

构字 は 枸字 の異体字であり 狗字 の誤写ないし通用字か
通字とは言っても 构字 の拼音は gōu であり 狗字 は gǒu なので同音では無い
表音は コウ と すべきが妥当と考えるが、表音は別に表を設ける

註5:

これも見慣れない字体で あるが、耶字 の異体字か
恐らくは 耶 の異体字 の字体から旁の大里(阝) の一画を略して繋げたものと思われる

註6:

十字 は 千字 の誤写か

註7:

布字 は 市字 の誤か

註8:

至字 與の誤か しかし それでも少々落ち着かないので、何かしらの誤脱が あるか

註9:

馬字 脱落か

註10:

未字 は 末字 の誤か

註11:

私には 曰字 に見えるが、國字 に見えるのか?
誤写と言う事で、気にする べきでは無いか

註12:

五東里 とは何か? 東字 は 百字 の誤か

註13:

伊都国 戸万余 と記述されているが、単純な誤写と即断してしまうのは少々危険を伴うか

註14:

王女 は 女王 の誤か

註15:

國字 脱落か

註16:

女字 は 以字 の誤か

註17:

拘字 は 抅字 の異体字で あり、前出の 构字 とは敢えて別字と して識別したいのか良く分からない
狗字 の誤写ないし通字か
通字とは言っても 拘字 の拼音は gōu であり 狗字 は gǒu なので同音では無い
表音は ク
狗,拘,抅,枸,构 各字の表音は註書の後に一覧表を掲げる

註18:

右字 は 古字 の誤か

註19:

王字 脱落か

註20: 註21:

而字 は 面字 の誤か
點字 は 点字 の異体字で拼音は同じ diǎn なので、表音は點面(テンメン) と なる
點面 に何かしらの意義が あるのかも知れないが、落ち着かない
単純に 黥面 の誤写か

註22:

身字 脱落か

註23:

前に 會字 が あるので 𥡴字 と推測出来るが、私には 𥡴字 の異体字で ある 𥡴字 異体字 の字体に見える

註24:

髪字 は異体字で ある 𥡴字 異体字 に見える

註25:

厭字 の異体字か誤写と思うが字体が良く分からない
麻垂(广) の下に左上が 日 で左下が 万 右側が 犬 に見える

註26:

倭字 が再び登場するが、或いは 倿字 は魏略で実際に使用されていた字体で、倭字 は宋書に用いられていた字体を写したために別字体が現(あら)われている と言う事か
これは他史書でも実見しているので、充分に あり得る事では ある


写本は大宰府天満宮に あると言うが、写本画像は公開されていない
ただ冒頭部分の画像ならば以下の通り公開されている

大宰府天満宮 翰苑


写本のレプリカを販売している と ある
レプリカ とは何で あろうか? 影本画像の事か?

書籍紹介 | 宝物殿 | 太宰府天満宮
翰苑レプリカ が ¥100,000 で、
翰苑レプリカ(倭国) が ¥30,000 で あると書かれている
学術的な研究と調査の対象と なるもの で あるので、無料公開を行っていただきたい所では あるが…

註26: に ついて で あるが、例えば 北史 の以下の影本画像では 俀字 が使われており、

卷九十四 列傳第八十二 倭國 3


同一史書の同一列伝中で あるにも拘わらず、以下の箇所では 倭字 が使用されている事が実見(じっけん)出来る

卷九十四 列傳第八十二 倭國 2


これと同様の事が 翰苑 でも起きていた可能性は多分に ある と言える
【通典】 卷一百八十五 邊防一 東夷上 倭

纂 : 唐朝 杜佑

倭人自謂太伯之後

【通典】 卷一百八十五 邊防一 東夷上 倭


翰苑 に ある 聞其舊語 自謂太伯之後 とでは いずれが原形なので あろうか?
大した事では無いのかも知れないが、杜佑 は自身の判断で 倭人伝 の語と 聞其舊語 自謂太伯之後 を繋げて作文している事に なる

これは端的に言えば、それ以外の箇所も同様に 杜佑 が自己の判断で勝手に作文ないし改竄,捏造を行っている余地が ある 事に なる
【三國志】 卷三十 魏志 烏丸鮮卑東夷傳 第三十 倭人傳

撰者 : 西晉(晋)朝 陳壽(寿)

其俗不知正歳[註27]四節 但計春耕秋收爲年紀

註27:

歳字 は 嵗字 が正しいか
しかし影本画像を見るに旁の 少字 は 小字 に見えるので、厳密に言えば どちらでも無い


三国志 魏志 倭人伝

【北戸錄】 卷二 雞卵卜

撰 : 唐朝 段 公路
註 : 亀 図 (龜 圖)

邕州之南有善行禁者 取雞卵墨畫 祝而煑之 剖為二片 以驗其黃 然後決嫌疑定禍福 言如響答 據此乃古法也
神仙傳曰

人有病 就茅君請福 煮雞子十枚以內帳中須臾 茅君悉擲岀中無黃者病多愈 有黃者不愈 常以此為候
風土記曰

越俗性率朴 淳而未散 至於有疾 不卜問祈請言

天生天殺歸自然

及其意親和合 即脫頭上巾幘 觧腰間五赤刀 以厚結之為交 拜親跪妻 定交有札俗 皆當於山間大樹下 封土壇祭以白犬一,丹雞一,雞子三 名曰朩下墅雞犬
在其壇地 民人畏之 不敢犯祝曰

天地父母 某月某日 甲與乙為友善 上下四旁莫不並見 卿乘車我戴笠 他日相逢 下車揖 我步行卿乘馬 後日相逢 卿當下 如此者數千百言 盖南人重雞卵也

愚又見卜之流雜書傳

虎卜,紫姑卜,牛蹄卜,灼骨卜,鳥卜 雖不法於蓍龜 亦有可稱者

按博物志曰

虎如衝破又能畫地 卜今人有畫物上者 推其竒偶 謂之虎卜

異苑曰

世有紫女一書 紫姑 古來相傳云是人妾 為大婦所嫉 每以穢事相役 正月十五日感激而死
故世以其日作其形 夜於厠門間或猪闌邉迎之
呪曰

子胥不在 是其壻名 曹夫人亦歸去 即其大婦也 小姑可岀 戯捉者覺重 便是神來
奠設酒果 亦覺面貌輝輝有色 即跳躁不住 能占衆事 卜行來蠶桑
又善射鈎 好則大舞 惡便仰眼

又魏畧曰

髙句驪有軍事祭天 殺牛觀蹄以占吉㐫 蹄解者㐫 合者吉
夫餘國亦爾

又云

倭國大事輒灼骨以卜 先如中州令龜 視坼占吉㐫也

又㑹要曰

東女國以十一月為正 每至十月令巫者賫酒饌詣山中 散麥於空中 大咒呼鳥
俄有鳥如雉飛入 巫者懐中因割其腹 有一榖來嵗必登
若霜雪必多異災 其俗因之名為鳥卜
武徳中 其女王遣使貢方物也

公路又按 子路見孔子曰

猪肩牛膊可以得兆 何必蓍龜

孔子曰

取其名也夫 蓍者耆也 龜者舊也 狐疑之事當時問耆舊也又有螺叚卜遺

北戸錄 卷二 雞卵卜 1

北戸錄 卷二 雞卵卜 2

北戸錄 卷二 雞卵卜 3

北戸錄 卷二 雞卵卜 4

引用箇所のみでは何のための記述が分かりにくいので、関連箇所を まとめて掲げている
どうも卜占に関する記載で ある らしい
【法苑珠林】 第五[註28] 六道篇第四之二 受苦

撰 : 唐朝 釋[註29]道世 (姓:道 名:世 字:玄惲)

魏略西域傳[註30]曰 短人國抂[註31]康居西北 男女皆長三尺 衆甚多 康居長老傳問 甞[註32]有商迷惑失道而到此國 國中甚多貝珠夜光明珠 商度此國 去康居可萬餘里
魏略曰 倭南有侏儒國 其人長三四尺 去女王國四千余里

註28:

影本画像に よって 第五 と書かれているものと 第八 と書かれているものが ある
どちらが正しいのかは良く分からない

註29:

釈字 は氏姓では無く仏僧として釈尊の門徒で ある事を示すための自称

註30:

三国志 東夷伝 伝末に引用されている 魏略 では 西戎伝 と なっているが、同一の列伝なのか それとも 魏略 には 西域伝 と 西戎伝 の双方が載録されていたのか、良く分からない
ちなみに 短人国 の記述は 三国志中の 魏略 逸文にも登場するが、記述は必ずしも一致して おらず、道世 が 魏略 を引用する際に勝手に作文し改竄している可能性が ある
更に、法苑珠林 に引用されている大秦(ローマ) の記述が 西戎伝 には現われていない等、疑問も残る

註31:

在字(zài) の異体字で拼音は kuáng なので、表音は コウ が正しいと思われる

註32:

嘗字 の異体字で拼音 cháng なので表音は ショウ


法苑珠林 1

法苑珠林 2


法苑珠林 で ほうえんじゅりん と読むのが一般的で ある らしいが、私は ほうえんしゅりん で良いと思う

これも引用箇所だけでは分かりにくいので あるが、該当箇所の前後を まとめて掲載しても実は余り意義が無いので、西域[註30]伝の引用と その直後の倭に関する記述のみに留(とど)める
上記の二文のみ引用しただけでも大体分かるかと思うが、要するに矮躯わいく(=身長が低い)の人 一覧リストを作るために引用していると言う、良く分からない文章群なので ある
何のために? 誰か この書物を翻訳して欲しい

公開 : 2016年9月16日
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