【三国志】[魏志 倭人伝] および [序文] を読み解く前に

1. 原典記述と恣意改変


魏志倭人伝は誤字や矛盾が多いと言われ、学者や研究者に よって改変されて解釈される事が多い様だ
しかしながら、先入観や思い込み、常識(当人の、もしくは当時の常識と言うべきか) に反するからと言う安易な理由で改変されている事も多い様に思われる
改変と言うよりも改悪や捏造と言って良いものも ある様に見える

無論、著述や撰録も人が行うもので あるため、絶対に無謬で あるとは主張しないが、論理的かつ客観的な事実と根拠に基づくもので なければ、安易に改変して解釈するべきでは ないと言うのが、公平な考え方かと思う
上記に従い、原点の記述が科学的物理的に不可能で あることが立証される場合に おいてのみ原文を誤謬誤写と見做し、原文のままで何らかの解釈が可能で あるならば、原文を是として採用する方針を採用する
無論、文献解釈上、何かしら無理が生じかねない事も あるかもしれないが、それは現時点で我々が拙断を急がねば ならない理由等は存在しないので あるから、現時点では原文を重く見、今は断を一旦保留し、判を後世に委ねるのが上善で あろうと考える
私は可能な限り公平かつ客観的な判断に基いて、女王国所在地論を進めたいと思う

当然の事で あるが、三国志は漢文で記述されているので、言語は日本語ではなく漢語である
よって、日本語として安易に読み下したりは せずに、漢文としての文意や語彙として読み進めたいと思う
また、現代語での常識に囚われたりせず、当時の文意や言い回し、用例に則って解すべきが妥当と考える

人間は困ったもので、しばしば "明らかに 何々" 等と平気で のたまうもので、その実追求してみると全然 "明らかでも ないでもない" 事が多いので ある



2. 論の方針


魏志倭人伝に記載された国の ありかを論争する事既に幾世にも及び、世に 邪馬台国所在地論争 と言われる

既に上記にも触れているので あるが、卑弥呼が女王として推戴された国の国号に ついては、邪馬台(邪馬臺)国と呼ぶか邪馬壱(邪馬壹)国と言うべきか で論が別れている
特に ここでは論を構える気は無いが、両者から見て公正を期すため、これより後は 邪馬台国所在地論争 の呼称は使用しないものと する
ここに "女王国所在地論(女王国所在地論争)" の語を用いる事を提唱しよう

なお、依拠する三国志の刊本としては信用性の高い宋紹熙本を採用したいと思うが、影本画像の入手性を優先する

また、畿内説(近畿説) と言う名称が しばしば見受けられるが、意図する悪意が感じられる
彼らは暗黙の内に、畿内とは日本の首都の意で、大和は大和朝廷の本拠地なのだから、三世紀も日本の中心なのだと主張したいので あろう
私は その様な底意には関わりなく、公平公正に考察したいと考えているので、以後は 畿内説 の名称は使用しないものと する
ここで更に "関西説" の名称を提唱したい

ついでに言えば、ここでは三世紀の倭国に おける国家群分立状況を 邪馬台国連合 やら 邪馬台国を盟主と する緩やかな統合団体 などと言う不思議な名称で呼称する論者を近年良く見かけるが、何ともすわり の悪い語に思えて ならない
例えば以下を見るに、連合と書かれてしまうと別の定義を想起してしまい、落ち着かないので ある

連合(れんごう)とは - コトバンク

強いて言えば倭国連邦とでも言うべきか
国の中に更に小さな国が あると言う政治機構なので、これは中世に おける以下のよう分国に近いのでは無いかと考えている

分国 - Wikipedia

近代に おいても、第一次世界大戦時まではドイツ帝国は連邦制を採用していた
倭国と女王国の関係はドイツ帝国内のプロイセン王国とでも言えば近いのかも知れない

公開 : 2014年1月24日
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