1. 比定国の定説は本当に正しいのか
倭人伝 の行程記述に おいて、大した地域確定の根拠も無く定説として大手を振るっている比定国が ある
それは 奴国 および 不弥国 で ある
奴国 は
儺縣や
那津と言った実存した地域と関連が あるものと され、福岡県 福岡市 が定説と されている
不弥国 は 福岡県 粕屋郡 宇美町 が これまた定説と されて しまっている
これらは地名の表音が倭人伝の表記に近いからだ と言う
しかしながら、それだけで定説として特定して良いので あろうか
抑々、上記両国は本当に現在の定説地で正しいので あろうか
2. 不弥国は沿海国
倭人伝 の行路記事から見て 不弥国 に関する絶対に看過し得ぬ記述が あるが、大学教授や歴史研究家が何故か触れない箇所が ある
【三國志】 卷三十 魏志 烏丸鮮卑東夷傳 第三十 倭人傳
撰者 : 西晉(晋)朝 陳壽(寿)
東南至奴國百里 官曰兕馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸
東行至不彌國百里 官曰多模 副曰卑奴母離 有千餘家
南至投馬國水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸
フォトライブラリー | 弥生ミュージアム 三国志 魏志 倭人伝
お分かりで あろうか?
現在の定説比定地を図に すると以下の
様に なるで あろうか (Yahoo!地図 を基に作図)

奴国 および 不弥国 の定説比定地と行路
しかしながら 不弥国 を 宇美 と した場合、何故 不弥国 へ行ってから 投馬国 へ向かう必要が あるのか、説明出来ないので ある
しかも 宇美 は かなり海から離れていて
寧ろ山に近いので、宇美 から直接水行で 投馬国 に向かうのは困難で あろう
河川を経て博多湾に出ると言う交通手段も考えられるが、宇美町を流れる宇美川は大きな川では ないため、川幅が細く水深も浅くて
水上行路として利用するには無理が ある
となると、宇美 から 投馬国 へ向かうには一旦 奴国 に戻って そこから那津から船に乗ると言うのが妥当で あろう
しかし、倭人伝の行路記事を見る限り
奴国 へ戻る陸路が記されていない ので ある
もう一度行路記事を見てみよう
東南至奴國百里 官曰兕馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸
東行至不彌國百里 官曰多模 副曰卑奴母離 有千餘家
南至投馬國水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸
不弥国 から 投馬国 への行程は水行しか記述が無いので、文章を ありのまま読む限り 不弥国 から直接船で出航して 投馬国 に到着するものと
解する
他無い
これが
若し、
南至投馬國陸行百里水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸
とでも記載されていれば、水上移動の前に陸路を移動しているものと考える事も出来るので あろうが、実際には 不弥国-投馬国 間の陸路移動の記述は無い
さて、不弥国 から 投馬国 への移動では直接 不弥国 から出航出来るものと考える他無いと言う事は、不弥国 の国土地形を極めて限定する条件と なって しまうので ある
つまり、不弥国 は海浜に面していて国内に港を持っていると言う事に なる
そう、
不弥国は沿海国 なので ある
これは単なる想像では あるが、
不弥国 は 宇美 と言う地名を基と した国では なく、もっと単純に、
海の国=不弥国 と言う事で あったのでは あるまいか
3. 不弥国は陸路海路の交通要衝
看過し得ぬ記載を更に述べる
大学教授や歴史研究家が何故か触れない と言うより、どうも都合が悪いので敢えて見なかった様に しているのかも知れない
東行至不彌國百里 官曰多模 副曰卑奴母離 有千餘家
南至投馬國水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸
伊都国 から 不弥国 へは陸路で移動している事が分かる
次に、不弥国 から 投馬国 へは水上を移動している事も読み取れる
移動に 20日も必要と言う事は、河川の移動では なく海路で あろう
これらを読み取る限り、不弥国 は
水陸交通の要衝に位置している事が分かる
それでは、上記条件に該当する地は あるのか?
私の知る限り、一つ ある
一つと言うより、これ以外の該当地は存在しないで あろう
伊都国 の東に位置し、
且かつ水陸の要衝地と なると、それは もう
博多 しか該当する地は無いで あろう
となると、定説の比定地で ある
宇美 は明瞭に誤り と言う事に ならざるを得まい
恐らく 不弥国 は陸路から海上航路への中継分岐国で あったのでは ないかと思われる
或いは、現在の品川税関の様な機能を
担って いたので あろうか
所で、不弥国 が博多湾に面する地帯と なると、歴史学の
御歴々には
都合が悪い事に なるので ある
何故なら、博多は もう既に
他の国として比定されて しまっているからで ある
そう、儺縣や那津は奴国の比定地では なかったか?
4. 奴国の在処は
更に更に看過し得ぬ事を述べる
東南至奴國百里 官曰兕馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸
有り
体に言おう
奴国 への移動手段が省かれているが "省かれている" と言う事は陸路を移動する事を前提として想定している筈で あり、つまり陸路に よる移動しか書かれて おらず海路での移動が可能で ある事を確認出来ない
もっと歯に
衣着せずに言おう
奴国 は海に面していない不沿海国 で ある
そう、奴国 は海無し国なので ある
当然の事で あるが、不沿海国で ある ならば那津とは
縁も
所縁も無いので ある
と言う事は、現在の定説比定地で ある
福岡市 博多湾沿岸は誤りで ある としか言い様が無い
となれば、奴国 は一体何処に あったのか
これに対して私は一つの比定地を挙げる事が可能で ある
それは 福岡市早良区と西区、所謂 早良王墓と呼ばれる地域で ある
これならば 奴国 の比定地として充分なる資格を持ち合わせていると言って良いで あろう
図に すると以下の通りと なるで あろうか

不弥国 と 奴国 の比定地と行路
5. 関連 URI
参考と なる URI は以下の通り
奴国 - Wikipedia
不弥国 - Wikipedia
Yahoo!地図 - 周辺検索・雨雲レーダー搭載の多機能マップ
公開 : 2014年7月8日