園山古墳は卑弥呼の冢か

1. 祇園山古墳が卑弥呼の冢であるとの見解


祇園山古墳が卑弥呼の冢であると言う見解がある
URIは次の通りとなる

卑 弥 呼 の 冢
卑弥呼の冢補論-祇園山古墳とその周辺
祇園山古墳は卑弥呼の墳墓の可能性があるか

所で、祇園山古墳は卑弥呼の墳墓の可能性があるかに書かれている蒲田新田氏とは、恐らく私の事かと思う
蒲生は関西の方には余り馴染の無い地名,苗字なので、新田に引き摺られて蒲田に見誤ったのかも知れない
機会があれば御本人に聞いてみたい気がする

この墓は楕円形の墳丘で、墳丘の上段部分が方状となっているようだ
卑弥呼の冢は円墳と思われるが、さて卑弥呼の冢であろうか?



2. 出土遺物が少し見劣りするか


この墓の形状についてはどちらにも与す事は無いが、墓の副葬物は余り無いようだ
盗掘されてしまっているようであり、何とも残念ではある
三角縁神獣鏡と変型方格規矩鏡]が出土したらしいが、確実な事は何とも言えない訳で、須玖岡本遺跡の夔鳳鏡のような位置付けであろうか
いずれにせよ、誰の墓であるかを判定する材料となる遺物が余り無いと言う事で、私は現時点では卑弥呼の墓であると主張するのは難しいのでは無いかと考える
むしろ私は次の候補のいずれかでは無いかと考えている
・卑弥呼の先代男王
・卑弥呼の男弟
・卑弥呼と壱与の間の男王
・壱与
・難升米,都市牛利,伊声耆,掖邪拘(掖邪狗),載斯烏越(載斯と烏越か)と言った倭王の臣下
男弟の墓と言うのが最も蓋然性が高いのでは無いかと思うが、壱与の墓は四世紀から築造が始まる八女古墳群の方が相応しいかも知れない

公開 : 2025年8月24日
戻る
pagetop