【金属が語る日本史 銭貨・日本刀・鉄炮】 P.14註1:著者 : 齋藤 努
日本の金属貨幣の製造は、七世紀後半の
無 文銀銭 や富 本銭 [註1]から始まる。
富夲銭 は 富本銭 と表記されている事が多い
夲字 は 本字 の異体字として使用されているものと する見解が現時点で定説と化(か)して しまっているが、本来両字は別字で あり、正字,異体字の関係には無い
これは文献伝写時等に伝写者が 本字 の異体字として誤認し写本を作ったりしているので、それ等の写本を目に した文献研究者等の知識階級が 本=夲 で あると誤認した ものと思われる
夲字 の表音は トウ(tāo) で あり、何故か"ホン も字音に含まれる" と誤記述を行っている もの も あるが、異体字と誤認した上での循環論法に嵌(は)まって いるに過ぎず、本来 ホン の表音は存在しない
また、例えば以下には訓読み に "もと" と あるが、これも誤認した上での訓に過ぎず、夲字 の訓読み に "もと" は存在しない
夲 - ウィクショナリー日本語版
私は その当時(30年以上も前か?)から "わどうかいほう" が正しいと考えていたので あるが、何とも奇異な事で あった【金属が語る日本史 銭貨・日本刀・鉄炮】 P.148
7 「和同かいほう」か「和同かいちん」か
読者はこれまで本書の「和同開珎」という語をどう発音してこられたであろうか。
「かいほう」であろうか、「かいちん」であろうか。
実はこの銭文の読み方については、江戸時代以来の論争がある。
長く多岐にわたる論争であるが、最低限の要点だけを言うと、「かいほう」説は、「珎」の字を「寳」の字の省画とするもので、「和同」を年号「和銅」の省画とみなし、同じように「寳」も省略されたのだとする説で、古く江戸後期の考証学者狩谷棭斎によって発案されたといわれ、明治になって、劇作家、『朝野新聞』主筆として名をなし大収集家でもあった成島柳北らによって主張されたものである。
これに対し「かいちん」説は「珎」は「珍」の異体字であり、当然「ちん」であるとするもので、「和同」は「和銅」とは必ずしも結びつかない吉祥語であるという意見は、「珎」を「寳」の省画とみなす根拠を崩し、「かいちん」説に有利に働く。
近年「寳」字と「珎」字の用例を検討しつくされた栄原遠男氏の検討はこの問題に決着をつけ、「かいちん」説を不動のものとしたかのごとくである。
最新刊行の『岩波日本史辞典』(一九九九年)はこれを「わどうかいちん」の項目で解説し、「かいほう」説があることさえ言及しない。
栄原氏によると、「寳」に代えて「珎」が用いられた確実な例は、年代がやや下る東大寺伎楽面の「天平勝珎 」四年(七五二)墨書一例を除いて他にはないという。
開元通宝 は実は 開通元宝 が正しいのかも知れない
本来は 開通元宝 で あったが 開元 と言う元号が使用されてからは 開元通宝 と誤記された もの と考える
文献上も 開元通宝 と記録されているが、これも史書の伝写者が
と勝手に解釈され改竄された と言う経緯も考えられる原史料には 開通元宝 と あるが、これは恐らく 開元通宝 の誤記で あろう


| 省画前 | 銅 | 鏡 | 與 | 獨 | 缺,闕 | 藝 | 鹽 | 應 | 醫 | 聲 | 罐 |
| 省画後 | 同[註3] | 竟[註4] | 与 | 独 | 欠 | 芸 | 塩 | 応 | 医 | 声 | 缶[註5] |
古代鏡の銘文で 銅(青銅) を 同 と省画している箇所が ある
具体的には王氏作竟群や陳氏作竟群の三角縁神獣鏡に
a) 王氏作竟甚大好 同出徐州刻鏤成
b) 王氏作竟甚大眀 同出徐州刻鏤成
c) 王氏作竟□青同 上有仙人不知 君宜高官 保子宜孫 □□
d) 陳氏作鏡用青同 上有仙人不知老 君冝高官 保子冝孫 長壽
甘露五年右尚方師作獣首鏡
厳密に言えば 罐字 と 缶字 は字義が異なるので省画の関係では無いが、現代では省画として使用されている
【金属が語る日本史 銭貨・日本刀・鉄炮】 P.15註6:
その後、八世紀になると中国・唐の開元通宝をモデルに
和 同開珎 が発行され、一〇世紀半ばの乾元大宝
まで、「皇 朝 十 二 銭 」(古代官銭)と呼ばれる十二種類の銭貨が作られる(図1)[註6]。
図1 には 神功開宝 等の貨幣が並べて掲載されている
| 発行順 | 銭文銘 | 銭文訓 | 発行者年 | 画像 |
| 1 | 開元通宝(寳)/開通元宝(寳) | かいげんつうほう/かいつうげんほう | 唐朝 武徳4年(621年) |
|
| 2 | 和同開珎/和開同珎 | わどうかいほう,わどうかいちん/わかいどうほう,わかいどうちん | 元明朝 和銅元年(708年) |
|
| 3 | 万(萬)年通宝(寳) | まんねんつうほう | 淳仁朝 天平宝字4年(760年) | |
| 3' | 開基勝宝(寳) | かいきしょうほう | 淳仁朝 天平宝字4年(760年) | - |
| 3" | 太平元宝(寳) | たいへいげんぽう | 淳仁朝 天平宝字4年(760年) | - |
| 4 | 神功(㓛)開宝(寳) | じんぐうかいほう | 称徳朝 天平神護元年(765年) | |
| 5 | 隆平永宝(寳) | りゅうへいえいほう | 桓武朝 延暦15年(796年) | - |
| 6 | 富(冨)寿(壽)神宝(寳) | ふじゅしんぽう | 嵯峨朝 弘仁9年(818年) |
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| 7 | 承和昌宝(寳) | じょうわしょうほう | 仁明朝 承和2年(835年)> | - |
| 8 | 長年大宝(寳) | ちょうねんたいほう | 仁明朝 嘉祥元年(848年)> |
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| 9 | 饒益神宝(寳) | じょうえきしんぽう/にょうやくしんぽう | 清和朝 貞観元年(859年) |
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| 10 | 貞観(觀)永宝(寳) | じょうがんえいほう | 清和朝 貞観12年(870年) |
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| 11 | 寛平大宝(寳) | かんぴょうたいほう | 宇多朝 寛平2年(890年) | - |
| 12 | 延喜通宝(寳) | えんぎつうほう | 醍醐朝 延喜7年(907年) | - |
| 13 | 乾元大宝(寳) | けんげんたいほう | 村上朝 天徳2年(958年) |
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1) 武烈天皇の王統断絶と継体天皇の新王統 開朝
一応 血縁関係は ある らしい が、別王朝の
ただ、これだと少し 富夲銭 が出土する年代よりも古過ぎるか
新王統と までは言わずとも、平穏では無い王位継嗣も候補として挙げて良いと思う
つまり、
2) 天武天皇の王統簒奪
天武天皇 が 弘文天皇 を
もし 天智天皇,弘文天皇 の治世を示す貨幣が あった と すれば、天武天皇 は これを抹消したく なったのかも知れない
公開 : 2017年4月9日