1. 明石原人人骨発見時における日本の歴史学界の愚かさ
直良 信夫と言う考古学研究者が いた
明石原人と命名された人骨の発見者であったが、日本の歴史学界は この研究者を認めず、誹謗中傷を浴びせて嘲笑したと言う
日本に旧石器時代は無いと言うのが、当時の歴史学界の定説であったからだ
歴史学界は定説が崩されるのを恐れ、怯えたのであろうか?
曰く、
詐欺師、山師、素人学者
ペンキを塗ったんじゃないか
与太で、相手になるだけ、バカったらしい
との事であったと言う
この顛末は次の番組で放送されている
幻の骨 ~日本人のルーツを探る~
明石原人は直良の誤鑑定であった可能性が高いが、歴史学界は明石原人および石器を確認せずに無視したと言う事実は残る事となった
2. 復権なるか?
直良は早稲田大学考古学者(教授)であったと言う
その後改めて
夜見ヶ浜人と命名される古代人骨を発見したが、日本の歴史学会は認めず、人骨は行方不明となったと言う
何故行方不明になったのか理解に苦しむが、どうやら時系列で記すと次のようになるらしい
1) 1969年、鳥取県境港市に古代人骨が発見される
2) 1970年、早稲田大学に在籍していた直良が人骨の年代を鑑定して発表し、直良が夜見ヶ浜人と命名する
3) 1977年(もしくは1978年か?)、直良が東京大学へ再鑑定を依頼し早稲田大学から東京大学へ移されていた
4) 1985年、東京大学から早稲田大学へ返還された(1985年に直良が死去したためか?)
5) その後何故か行方不明に
6) 2024年、早稲田大学で現出
7) 2024年、早稲田大学考古学研究室にて改めて年代測定に着手
何故行方不明となったのかは謎であるが、私は直良の功績と認めたくない早稲田大学の考古学研究室が故意に隠した可能性を疑ってしまう
報道も行われており、今でも次のような記事を読む事が出来る
夜見ケ浜人の人骨再発見 鳥取で55年前出土、年代測定へ
執念で見つけた「夜見ケ浜人」の骨 年代論争への終止符にも期待
夜見ヶ浜人の人骨を追う 伯耆文化研究会 会長 根平雄一郎さん
3. 歴史学界は改善したか?
直良の復権は未だ道半ばではあるが、
日本の歴史学界の対応は酷いものであったとしか言い様が無い
定説を唱えた学者の立場が無くなるのを嫌がって直良を誹謗し嘲笑したのであろうか?
直良の死後においても、
状況は改善されているであろうか?
公開 : 2025年8月12日