【ローマ皇帝伝】 第一巻 カエサル著述公開はカエサルの死後 160余年後と年月を隔てており、記述内容の事実是非は改めて検討する必要が ある様に思われる
原題 : De Vita Caesarum Libri VIII (ローマ語:カエサルたちの伝記 八巻)
著者 : ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス (Gaius Suetonius Tranquillus)
公開 : 119年~122年の間 護衛隊長ガイウス・セプティキウス・クラルス(Gaius Septicius Clarus) に献呈
【ローマ皇帝伝】 (上)
訳者 : 国原 吉之助
[第一巻 カエサル 45] P.52~P.53伝えるところによると、彼は長身で白皙、均斉の取れた体に、口はやや大きめで、目は黒く炯々と輝き、健康に恵まれていた、もっとも晩年には、突然失神することがよくあり、いつも夢にうなされていたが
また癲癇に二度ばかり、執務中に襲われたことがある。
【英雄伝】 1著述内容は【ローマ皇帝伝】よりも詳細
原題 : 対比列伝
希:Βίοι Παράλληλοι, 羅:Vitae Parallelae
著者 : プルタルコス
希:Πλούταρχος, 羅:Plutarchus
公開 : 【ローマ皇帝伝】 の後か?
【プルターク英雄伝】
訳者 : 鶴見 祐輔
[シーザー] P.360~P.361プルタルコスは戦闘に参加したと言う史料と、戦闘から離脱したと言う史料を持ち合わせていた様に見えるこの成功に幸先よしと意気すこぶるあがったシピオーは、決戦に出ずる決心を固めた。
そこでアフレーニアスとジューバをほど遠からぬところに二隊となってとどまらしめ、みずからサスパスに向かってそこの湖水のほとりに、一は作戦の中心ともなりまた退却の際の足だまりちなるように、砦をもって陣営を築いた。
シピオーがこの作業に没頭している間に、シーザーは人間業とも覚えざる速さをもって無数の密林と人跡通しがたしと想像せられていた一国土とを通り抜け、敵の一隊を鏖殺し、他の一隊を正面より攻撃した。
この両部隊を撃破したのち、彼はその会機と幸運の潮とに乗じて、最初の一寄をもって、アフレーニアスの陣をのっとり、息もつかせずヌミディア人の人を襲い、その王ジューバが身をもってのがれたあとを思うがままに荒掠した。
かくして同じ日の数刻の間に三箇所の敵陣を奪い、味方の討ち死にわずか五十にして敵を殺すこと五万と註せられた。
この戦闘についてある史家は以上のごとく伝えている。
ほかの説によれば、シーザーは当日の戦闘に加わらなかった。
それは彼が軍隊を戦闘隊形に編成しつつあった途端に、いつもの病気に襲われた。
彼はいち早く発作の近づくことをさとって、それがあまりにはなはだしく彼の感覚を悩乱せしめないうちに、すでにその影響のもとに五体が震えだしたと感づくや、ただちに近傍の砦に引き上げて休息した。
この合戦ののち捕らえられた執政官(コンサル)級および裁判官(プリーター)級の者のうち、ある者はシーザーこれを殺し、ある者は先を潜って自殺した。
【ローマ内乱史】著書を確認出来なかったため、現状では信憑出来るか どうか判断出来ない
著者 : アピアヌス
公開 : 160年?
以上で ある癲癇と痙攣と言う病に、突然、特に、じっとしている時に襲われる事があった
【ローマ人の物語】同時代人で あるキケロ(マルクス・トゥッリウス・キケロ:Marcus Tullius Cicero) や小カトー(マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス:Marcus Porcius Cato Uticensis) はカエサルの癲癇罹患に関しては何も記録を残していないため、カエサル癲癇説を否定している
著者 : 塩野 七生