カエサルは癲癇(てんかん)で あったのか

1. カエサルは癲癇で あったと言う定説が罷り通る


実質上のローマ帝国初代皇帝と言うべきカエサル
名はガーイウス・ユーリウス・カエサル (Gaius Julius Caesar) 紀元前44年 歿
政治家で あると同時に将帥で あり、文筆家でも ある

文献に よると、彼は癲癇(てんかん) で あったと言う
本当で あろうか? 虚妄や捏造では ないのか?



2. 癲癇で あったと記述する文献


カエサルが癲癇で あったと記述しているのは以下の 3文献で あると言う

1) 皇帝伝

【ローマ皇帝伝】 第一巻 カエサル

原題 : De Vita Caesarum Libri VIII (ローマ語:カエサルたちの伝記 八巻)
著者 : ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス (Gaius Suetonius Tranquillus)
公開 : 119年~122年の間 護衛隊長ガイウス・セプティキウス・クラルス(Gaius Septicius Clarus) に献呈

著述公開はカエサルの死後 160余年後と年月を隔てており、記述内容の事実是非は改めて検討する必要が ある様に思われる
記述された内容は かなり砕けたもので ある様に見える
簡潔明朗、と言う感じでは あるが、事蹟を箇条書きに並べただけの様に見えてしまう
或(ある)いは単に、翻訳者の文体が反映されているだけ なのかも知れないが
私見としては、歴史史料としては読むに堪えない程度の もので ある
残念ながら、信憑性は低いものと判断せざるを得ない

訳書として以下を採用する
【ローマ皇帝伝】 (上)

訳者 : 国原 吉之助

[第一巻 カエサル 45] P.52~P.53

伝えるところによると、彼は長身で白皙、均斉の取れた体に、口はやや大きめで、目は黒く炯々と輝き、健康に恵まれていた、もっとも晩年には、突然失神することがよくあり、いつも夢にうなされていたが
また癲癇に二度ばかり、執務中に襲われたことがある。


2) 英雄伝

【英雄伝】 1

原題 : 対比列伝

希:Βίοι Παράλληλοι, 羅:Vitae Parallelae

著者 : プルタルコス

希:Πλούταρχος, 羅:Plutarchus

公開 : 【ローマ皇帝伝】 の後か?

著述内容は【ローマ皇帝伝】よりも詳細
上記【ローマ皇帝伝】の後に公開されたもの らしい
そのため、或いは、【ローマ皇帝伝】の内容を充分に精査せず、"カエサルは癲癇で あった" とする記述を鵜呑みにしたまま引き摺(ず)られて しまっている可能性が ある様にも思える
訳書として以下を採用する
【プルターク英雄伝】

訳者 : 鶴見 祐輔

[シーザー] P.360~P.361

この成功に幸先よしと意気すこぶるあがったシピオーは、決戦に出ずる決心を固めた。
そこでアフレーニアスとジューバをほど遠からぬところに二隊となってとどまらしめ、みずからサスパスに向かってそこの湖水のほとりに、一は作戦の中心ともなりまた退却の際の足だまりちなるように、砦をもって陣営を築いた。
シピオーがこの作業に没頭している間に、シーザーは人間業とも覚えざる速さをもって無数の密林と人跡通しがたしと想像せられていた一国土とを通り抜け、敵の一隊を鏖殺し、他の一隊を正面より攻撃した。
この両部隊を撃破したのち、彼はその会機と幸運の潮とに乗じて、最初の一寄をもって、アフレーニアスの陣をのっとり、息もつかせずヌミディア人の人を襲い、その王ジューバが身をもってのがれたあとを思うがままに荒掠した。
かくして同じ日の数刻の間に三箇所の敵陣を奪い、味方の討ち死にわずか五十にして敵を殺すこと五万と註せられた。
この戦闘についてある史家は以上のごとく伝えている。
ほかの説によれば、シーザーは当日の戦闘に加わらなかった。
それは彼が軍隊を戦闘隊形に編成しつつあった途端に、いつもの病気に襲われた。
彼はいち早く発作の近づくことをさとって、それがあまりにはなはだしく彼の感覚を悩乱せしめないうちに、すでにその影響のもとに五体が震えだしたと感づくや、ただちに近傍の砦に引き上げて休息した。
この合戦ののち捕らえられた執政官(コンサル)級および裁判官(プリーター)級の者のうち、ある者はシーザーこれを殺し、ある者は先を潜って自殺した。

プルタルコスは戦闘に参加したと言う史料と、戦闘から離脱したと言う史料を持ち合わせていた様に見える

3) ローマ内乱史

【ローマ内乱史】

著者 : アピアヌス
公開 : 160年?

著書を確認出来なかったため、現状では信憑出来るか どうか判断出来ない
ただ、この著者はガリア征服戦争に おけるガリア人の被殺害者や捕虜数を誇張して記述している可能性が ある
理由は分からないが、カエサルを(おとし)めるために残虐非道な司令官で ある と訴えたかったの かも知れない

癲癇と痙攣と言う病に、突然、特に、じっとしている時に襲われる事があった

以上で ある



3. カエサルが癲癇で あったとの主張を否定する説


以下の著書では古代ローマの通史を書き上げているので あるが、カエサルへの興は並々ならぬ ものが ある
【ローマ人の物語】

著者 : 塩野 七生

同時代人で あるキケロ(マルクス・トゥッリウス・キケロ:Marcus Tullius Cicero) や小カトー(マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス:Marcus Porcius Cato Uticensis) はカエサルの癲癇罹患に関しては何も記録を残していないため、カエサル癲癇説を否定している



4. 考察


カエサルが癲癇で あったと記述する初出の文献は、かなり信憑性が低いものと言わざるを得ず、信用に堪えない様に思える
その後の史料も、カエサルの死後かなり経過した後に記述されたものなので、信憑性の是非を判断しにくい

また、当時の医学知識では癲癇と言う病気に ついて正確に把握し切れていたか どうか不明でも あろう

カエサルは元老院と敵対したために政敵が多く、その容姿(禿頭) や日常行動(多情好色)、或いは生活(膨大な借金) と言った事を容赦無く攻撃されている
しかしながら、病気を攻撃された事例は おそらく皆無かと思う
他例としては、初代皇帝で養子のオクダヴィアヌス(ローマ語:Gaius Julius Caesar Octavianus Augustus) が消化器系の疾患持病を政敵に攻撃されている事例が あるにも拘(かか)わらず、である

となると、同時代人から見て、カエサルは特に病気に罹患していたとは見做されて いなかったものと思われる


以上に より、カエサルが癲癇で あったと する主張は虚妄でしか なく、事実で あるとは思えないので ある

公開 : 2014年1月23日
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